【日記】IgA腎臓闘病譚 その09

こちらの記事は冬月の個人的な病気、IgA腎症についての日記になります。

中学生の時に発病し、31歳になった今、また再発してしまいました。
この珍しい病気を知ってもらおうと思い、日記にします。

今までのテイストと違って1人称の日記形式にしてあります。

それでもよければ続きを読むからどうぞ。

おとといの記憶になるけど

手術から戻ってきたと思ったら見慣れない病室にいて、体が動かせなくなっていた

なぜか腕はベッドに縛り付けられ、胸から腰には拘束具がつけられていた(らしい)

最初は喉が痛かったので、扁桃腺摘出が終わったのかと思っていた

……なんか様子が違う

人工呼吸器は繋ぎっぱなしだしなにより、部屋が物々しい

意識が戻ったと思ったら看護師さんが「フラシッュ」しますとかいって意識が切れる

でも、すぐに意識が戻ってしまうようで看護師さんも悩んてた

夕方ぐらいからは軽い麻酔?と精神安定剤で意識がある状態だった

おそらくこれ以上は体の負担になるのを考えてあえて意識がある状態になったんだと思う

当時はなにも知らされてなかったが

……やっぱり何か起きてるんだと感じた

このままで死んでしまうのかなともおもった

あとから聞いた話だと、扁桃腺の手術直前に舌が大きく腫れてアレルギー反応が出てしまったらしい

呼吸器を繋いた段階で腫れたので窒息の危険はなかったけど、ただ、呼吸器を抜くと腫れた舌が喉を塞いでしまって窒息の恐れがあるので、とりあえずこのままで様子見になった

だだ、手術用の簡易的な呼吸器なので酸素量は少ないし、器具は体にあたって痛いしで体力、精神的にも辛かった

手術二日目後に容体をみて大丈夫そうなら呼吸器を取ることとなったみたい

もどってきた病棟も、実は一般病棟ではなく、ICUに入っていた

「扁桃腺摘出手術したらICUに入っていた」

になってしまった

今では笑い話になったからいいかと思ってる

腕も拘束されてるし、声も出せないので看護師さんとの連絡手段にはかなり考えた

口にタンが貯まると辛くなるので、息苦しくなってきたときは手をパタパタして気を誘い、口を突き出してアピールした

最初は暴れていると勘違いされていたけど、数回繰り返すうちに解ってくれて、手を振ると来てくれるようになった

つぎに筆談してみた

ペンと紙があるわけではないので、ベッドに文字を書く程度だったけど、時間とか聞いたりした

一応、見舞いに来てくれた妻ちゃんにも手のひらに「だいじょうぶ」って書いてみたけど気が付かれなかった……

朝になって自体が変わったようで、いろいろレントゲンやCTをとって、腫れがだいぶ引いてたみたいで、呼吸器を取ることになった

取るときに、もしかしたら腫れが引いてないかもしれないから首に空気を通す管を着ける手術をするかもしれないと言われた

言われた瞬間は戸惑ったが、これよりもマシになるならと、頷いた

ここでの麻酔科の先生が変人で面白かった

まず、ICUから手術室に向かうとき、「(しゅんげつの)呼吸を感じたい」という理由だけで手押し式のポンプで人工呼吸器にしたり(しかもかなり薄い)、こっちが必死で息してるのを感じて「おお、これだけ肺が動いてるなら大丈夫だ」とか言ってた

手術室まではエレベーターで行くのだけど、そのときも「このベッドとこれだけの人が乗れるエレベーターをよろしくお願い」とかタクシーを呼ぶ感覚で言ってたし

とんでもない人だったけど、大丈夫って分かっていたのだろうな〜

手術室に入ってオペ?するときにJPopが流れてたのか印象的だった

先生の趣味なのかな?おそらくジャニーズ系だと思う

でいざ取り出し

まず、首の中と外界の気圧差をなくすために弁を開くとき、勢いよく首から空気が出ていくので命の危険を感じた

空気が吸えない、逆に出ていく!

かなりパニックになったと思うが暴れようとは思えなかった

で、いざ取り出し

まず、接着剤を剥がす溶液を着けるときも息が吸えなくなった

ここ一日は息に関してのことしか考えてなかったので、空気が吸えないのはかなりの動揺を起こしてしまう

そして、ズルズルと口から太い管を抜いていく

感覚的には太いチューブを吐き出す感じ

呼吸器が取れて空気を自由に吸えたときはすごくほっとした

耳鼻咽喉科の先生が早速口の中を見のために「あー」と言ってと声をかけてきた

「あ……あ、あ」

全く声が出ないw

なぜか、自分も吹いてしまった

首や口腔内は特に異常もなく腫れも引いてると診断されて喉に空気のバイパス手術もする必要は無いと言われた

で問題はなさそうだけど念の為にICUで一晩過ごすことに

ほぼ正常状態でICUに入院してるのってそういない気がする……

術後からしばらくは妻ちゃんから今までのことを聞いたりした、思っていた以上に大変だったようだ

記憶にないが、苦しいから腕を上げて呼吸器を取ろうともがいたりしていたらしい、そのために拘束具が着けられていたのかもしれ無い

あと、点滴の効果が切れると意識は無いが目醒めていたらしく、呼びかけにも反応してたらしい

意識がはっきりしてきたとき、拘束具がついていたことや、病棟が変わっていたことに疑問が浮かばなかったのはこのせいなのかなともおもった

で、妻ちゃんが帰ったあとはICUは生と死の部屋になった

まず、左隣の患者さんが夜中になると、痛い、寒い、暑いと暴れだしてしまう

しまいにタンに血が混ざってしまったようで肺炎か出血して肺に水が貯まるようになってしまったらしい……

駆けつけた主治医は適当な指示だけして素人の自分でも頼りなく感じてしまった

循環器内科の先生に取り次いでようやく、状態が収まった

一時期は薬を投与しても血圧が上がらす、他の数値もどんどん下がってしまい医師から新しい薬の投与をしないと危険な状態になるところまできていた
ICUの看護師でも薬の処方はできないからその部分は医者頼みになってしまう、

「何も出来ないじゃん」

看護師さんのだけかが言ったこと言葉が印象的だった

深夜1時ぐらい、急患がやってきた
ベッドに大きな機材が2つくらい、隣のベッドに運ばれてきた
息の音がすごい
一瞬機械の排気音かと間違えるような低い、辛い音だった
ダースベーダーの呼吸音をうんと下げた感じ

施術中だったが、合併症が見つかりこれ以上の続行は無理と判断され
ICUに運び出されたみたい
この人も肺に血が混じってしまっているのかな?兎に角つらそう
1時間後に医療用麻酔のおかげか落ち着いたらしい

こんな感じで意識を取り戻しても落ち着かない夜を迎えた

翌日には普通の病棟に戻って経過観察となった
容態も大丈夫そうで喉も異常ないとのことだったので
予定通りの退院となるみたい

扁桃腺は残ったままだけどね

なんやかんやで午後に普通病室に戻り、落ち着いた

父に、戻った連絡をして
ICUに入ったときの連絡は妻ちゃんが父に連絡してくれた
そのときに、泣いてしまった

「死ななくてよかった」と
「何事もなく戻ってこれた」と

それからも最初は動いてなかったのでフラフラして
動きづらく感じたけど、2~3日後には良くなっていった

そして、予定通りに退院出来た

扁桃腺は残ったままだけどね

 

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