さて、今回はまじめなことを書くので冬月、冬華の出番なしです。
きっかけは今日のメッセンジャーでの会話から始まります。
コミケ話がきっかけで学校卒業以来話していない友達とメッセをしていました。
そこで、友達が「いつか声優になるため東京に出てくる」といっていました。
ここ、急ぎ足で東京にやってきてじぶんなにをやってきたんだろうなーってちょっと考えさせられました。
自分は今、ゲームプログラマーとして生きていますが、コレで人生を終えようとは思っていません。
自分の目標は自分のゲーム会社をつくることで、
夢が自分ひとりでゲームが作れるような能力を持つことです。
冬月の中では、目標は将来の通過点、もしくはゴール地点で、夢は将来の自分の理想像として考えています。
簡単に言うと、ゲーム会社は必ず作るけど、一人でゲームを作るのは希望。ということになります。
じゃあ、なんでゲーム会社をつくるのか?
どうして一人でゲームを作るのか?
ゲーム会社を作るのは自分の思いを伝えたいから。
今の下手なマスコミみたいに押し付けるのではなく、きっかけを作っていろんな人に考えてほしいから。
だから自分の作ったゲームが2chで叩かれようが(シナリオや設定の観点で)、ニコニコにアップされようが、Wikiで攻略法が載せられても問題ありません。同人誌でストーリーを捻じ曲げられても。
「なんであのキャラを殺したんだ!」「あそこのシナリオはこうしろよ」とか考えてもらうことが冬月の思惑ですから。
でも、そういうのって大概売れないんです。だから、企画を作ってもゲーム化はできない。なら自分で作ってしまえばいい。会社というより工房って感じですね。利益なんて一切考えてませんから。
でも、利益を求めない分、ゲームに退屈していた世代をまたゲームに引きずりこめる自身はあります。自分と世間の勝負が会社ということです。
そう考えると「自分ひとりでゲームを作れるようになる」というのも上の会社設立に近いものがありますが、冬月の中では別です。
コレを夢にしたのはZUNさんの影響です。
上海アリスという同人サークルは基本的にZUNさん一人のサークルです。
絵も、曲も、プログラムも、シナリオも、ZUNさん。
それに習って、自分もイラスト、プログラム、シナリオ、音楽、コスプレ、料理、電子部品いじりなどあらゆることを趣味にしています。どれか1つに絞って追求すればエキスパートになれると思いますが、そうなって「常識というエゴ」にはとらわれたくないと思っています。
常識を持ってしまうと、限界を勝手に作ってしまいそれ以上のことはしなくなります。
ドラクエにしろ、FF、東方、月姫、ひぐらしにしろどれもが常識を覆しているから人気が出ているんです。
一見よけられそうもない弾幕が実はよけられるように作ってあったり、シューティングにしては(当時)奇抜だった音楽も今としてはそれが支流になっています。
だからエキスパートにはならない。基本は守るけど常識を覚えないため基本的に独学による勉強。できないことは他の知識でカバーする。コレが多趣味の理由です。
最後に冬月が仕事やプログラムをしているときに考えている言葉を……
他人にできることは「自分」にもできる
「自分」にできることは他人にもできる
そうですよね、だって身長や体重などいろいろ違っても骨格や基本的な機能は一緒な人間なのですから。
確かに陸上選手のように走ることはできないけど、同じような練習をしたり(性格などの精神面は考えないで)、靴に車輪をつけたり服を改良して走りやすくするなど何らかの手段を使えば同じぐらいにはなれます。
しかし逆に言えば、自分が努力して新しいことを習得しても、同じように努力知すれば他の人も身に着けることはできるということです。
他の人ができて自分ができないということは意外に少ないはず。努力すれば必ず報われる。けど、そこで止まってしまえば第2、第3とできる人は増えていく。
それもあって、冬月はZUNさんを目指しています。
ZUNさんにできて自分にできないことはないと思います。
ただ、方法や解決方法を知らないだけ。それを知れば誰でもなれる。
でもそのためにはZUNさんと同じ努力をしないといけない
そう考えると夢や目標も作りやすいと思います。
友達の話だと、今のトライデント(専門学校)に相当元気がないそうです。
夢なんて行ったもの勝ち。言わないと進めないし、道がない。
くじけても、何とかなる。だって他人もうまく言っているのだから。いつか自分もうまく行く。
そう思ったら良いのではないのでしょうか?