えーと、久しぶりの更新ですが、かなり重い内容になります。
また、家族の配慮をかねて今回は冬月、冬華は登場させず、文字のみの更新になります。
さて、本題に入りますが、超個人的なことであり、冬月の家庭の問題でもありますので、今回は自分の思いを忘れないために書き綴っているものになります。
最近こんな重苦しいものばかりで申し訳ないです。
が、今回でほぼ終わります。
さて、子の人生の中の厄介事がまた解決してしまいました。
夏神楽 冬月、本名:水野 優希の母がちょうど一週間前の今日に天国へ旅立ちました。
どうやら、9月の連休(シルバーウィーク)を終えたころから急に容態が悪くなったらしいです。
自分は単身で東京、千葉に暮らしていたので会社に父が電話をするまでそれほど悪い状態ということをまったく知りませんでした。
今年の5月から癌が再発し、それ以来入院しつづけていました。
父はその時点で余命宣告を受けていたそうです。
それほど悪かったようです。
ちょうど1週間前の午後に父から直接会社に電話があり、
「お母さんが亡くなった、今すぐ帰って来い」
といわれました。、
が、いきなりそんなことを言われても納得するはずもなく、宙ぶらりんの感覚で残った仕事を片付けて早々に退社させていただきました。
会社から家まで1時間、家から東京駅まで1時間、東京から名古屋まで2時間、名古屋から実家まで30分。
時間にするとかなり長いですがかなり急いで実家に向かいました。
家に帰っても、母が入院したときの家の暮らしと変わらないので、まだこのころでも母が亡くなった実感がありません。
式場に母の異体があるので夕飯もそこそこにしていそいで式場に向かいました。
そこに、確かに母はいました。
が、固まった体。
やせすぎて、こめかみがくぼんだ顔
確かに母なんですが、自分ではそれを理解していませんでした。
ああ、これが「うらしま現象」なんだな、と考えられる余裕もあったぐらいです。
そして、その夜はなかなか眠れず、結局3時まで起きていました。
次の日、式が始まるとその行為自体が母が亡くなったことをいっそう駆り立てました。
父がここで「俺はひっそりとやってほしい」といったのがすごく印象的でした。
映画の「おくりびと」などのように服を着替えることがあるのですが、周りから見ると、ただ死人の服を交換しているだけなのですが、その着替えさえできない体になってしまった事実に涙が出ました。
悔しいんです。今まで、お世話になりっぱなしで、やっと職についてこれから親孝行できると思っていた矢先のことなんです。
トライデントの専門学校へいかせてくれたもの母です。てっきり、家族の財布から学費が落ちているかと思ったのですが、どうやら、母単体の通帳から学費が落ちていたようです。
なにも文句を言わずただただ、応援してくれた母には頭すらあげられません。
今度は泣かないと、心に決めて式に望んだのですが、だめでした。
学生時代、母と同じ職場で働いていたことがあり、そのときの母の同僚(友達)がその式にきていたのですが、母の職場は母の実家でもあり、その同僚は母の祖母の友達でもあるんですね。
母より20歳年上で、自分にも良くしてもらったのですが、その人たちが焼香するときに、その思い出が走馬灯のように思い出されてしまって、もう涙が止まりませんでした。
ここに母はいない。
そうおもうと、もう回りも関係なく泣きました。
今考えると、泣いたのは小学校6年生以来です。しかられても、泣くことはありませんでした。
どんなに感動的な映画を見ても涙は流しませんでした。
そういうことで、今の子の世の中には母はもういません。
このことをこのブログに書くかどうか迷いましたが、このときの気持ちを忘れないためにもこうやって書かさせて頂きました。
さて、日曜日には家に戻って普通の生活に戻る予定です。
人がなくなるのは寂しいですが、これも運命です。仕方ありません。あとは自分がそれに対しどんな行動をするか、が大切なんだと思います。
次から、本気だします。